縄文時代をわかりやすい説明で解説
縄文時代
気温が暖かくなったことで、マンモスは減りました。
そのことによって人々も生活様式を変えていきます。

(写真1)縄文土器
縄文時代の内容
気温が暖かくなったことで、縄文人が食べていたマンモスなどが絶滅しました。
そのため縄文人たちは、代わりに小動物を狩猟するようになります。そのときに使われた道具が石を磨いて製造した磨製石器(ませいせっき)です。

(写真2)磨製石器
情報ネットワーク教育活用研究協議会
しかし、それだけでは食料は足りません。
そこで、クリやクルミなどの木のみの採集(さいしゅ)や魚を取る漁労(ぎょろう)を行うことで食料を補いました。そのときに使われた道具が骨角器(こっかくき)と石斧(せきふ)です。
・骨角器・・・魚を捕まえるとき

(写真3)骨角器
・石斧・・・木の実を砕くとき

(写真4)石斧
このような道具を使って、採取や漁労することで食料をたくさん得ることができるようになりました。そのため、余った食料を貯めておく習慣ができます。そこで利用されたのが縄文土器です。縄文土器は煮炊きをして食料を食べたり、保管するために使われました。土器に縄の模様があることが特徴です。

(写真5)縄文土器
縄文土器で食料が保管できるようになったことで、人々は歩き回らず特定の場所で住むことができるようになりました。そのため、家が必要になります。そこで竪穴住居と呼ばれる家が作られるようになりました。
そして住む場所が固定されたことで、食べ物を捨てる場所も固定されるようになりました。それが貝塚。ゴミ箱の誕生です。貝塚はゴミ箱なので、割れた土器や食べ残した食料などを捨てていました。

(写真6)貝塚
貝などのゴミが積まれて丘のようになっている
このように、住む場所が固定され、食料も貯めておくことができるようになったおかげで、暇な時間が生まれます。その暇な時間で人々の思想が成長しました。その特徴と言えるのが、妊婦の姿をした土偶です。これらは、人間を含めた動物や自然現象に魂が宿っているという考え方であり、アニミズムと呼ばれます。

(写真7)土偶
1200px-青森県つがる市木造亀ヶ岡出土_遮光器土偶-2.JPG (1200×1716) (wikimedia.org)
思想はさらに発展し、死者の埋葬技術ができました。それが屈葬(くっそう)です。
屈葬は体全体を強く折り曲げ、死者の魂が外に出ないようにするために行われたとも考えられています。

(写真8)屈葬
史跡『蜆塚遺跡』発掘60周年記念テーマ展「浜松の縄文時代」/浜松市 (city.hamamatsu.shizuoka.jp)
縄文時代の流れを掴みやすくなるポイント
流れを掴むポイントは3つです。
①気温が暖かくなり、マンモスが減ったことで磨製石器を使って小動物を狩ることに。
しかし、それだけでは食料は足りない。
→骨角器や石斧を使って、木のみの採集や魚を取る漁労を行った。
②木の実などを貯めたり、煮るために縄の模様がある縄文土器ができた
食料が保管できるようになったことで、竪穴住居に定住が可能になった。
→住む場所が固定されたことで、食べ物を捨てる場所も貝塚に固定された。
③定住や食料が保存できるようになったことで空いた時間が生まれる。
→人間を含めた動物や自然現象に魂が宿っているアニミズムという考え方が生まれる
そうした考え方から屈葬という死者の埋葬法ができた。

(写真8)縄文時代の流れポイント
筆者作
代表的な遺跡
三内丸山遺跡・・・青森県にある遺跡。大規模施設と考えられる竪穴住居がある。
大森貝塚・・・東京都にある遺跡。近代的な考古学調査をモースが行ったことで有名。
縄文時代のまとめ
・気温が温かくなり、磨製石器で小動物を狩るようになった
・植物の採取や魚をとる漁労によって、食料を貯蔵できるようになり縄文土器ができた
・竪穴住居に住むことで、アニミズムという思想が生まれ、屈葬という埋葬ができた