古墳時代をわかりやすい説明で解説
古墳時代
権力者である大王がクニをまとめ、日本を統一していきます。その中で、豪族たちは自信の権力を示すために古墳という大きな墓を作ります。それが古墳時代です。
古墳時代の内容
弥生時代の埋葬方法が進化して、前方後円墳と呼ばれる古墳という大きな墓が作られるようになりました。これが古墳時代です。古墳は奈良県の巨大古墳である箸墓古墳(はしはかこふん)を中心に東北地方中部まで広がっていきました。このことから古墳時代は、西日本を中心とする政治連合ができていたと考えられています。この政治連合のことをヤマト政権と言います。ヤマト政権は5世紀後半から6世紀にかけて大王を中心に誕生しました。しかし、大王の勢力拡大に抵抗する地方豪族も現れます。その代表的な豪族が筑紫国造磐井(つくしのくにのみやつこいわい)です。そしてこの大名が起こした乱を磐井の乱と呼びます。この乱は2年も続き、大王を困らせました。そこで、このような反乱が起きないように、各地に直轄領としての屯倉や直轄民の名代・小代を設けました。このような対策は、各地の豪族をまとめることに成功し、地方豪族たちはヤマト政権の国造になることで、支配権を認めてもらうという形式になりました。
古墳の主な特徴
古墳時代は前期・中期・後期で様相が変化します。
古墳時代の流れを掴みやすくなるポイント
①弥生時代の埋葬方法が進化して、近畿地方を中心に前方後円墳と呼ばれる古墳という
大きな墓が作られるようになり、東北地方中部まで広がった。このことから古墳時代
は西日本を中心とする政治連合であるヤマト政権が誕生していたと考えられている。
②しかし、大王の勢力拡大に抵抗する地方豪族の筑紫国造磐井(つくしのくにのみやつ
こいわい)が現れ、磐井の乱を起こす。この乱は2年も続き、大王を困らせた。
③このような反乱が起きないように、各地に直轄領としての屯倉や直轄民の名代・小代
を設けた。この対策は、各地の豪族をまとめることに成功し、地方豪族たちはヤマト
政権の国造となった。
代表的な思想
太占の法(ふとまにのほう)・・・汚れをはらい、災いを免れるために鹿の骨を焼いて占う。
盟神探湯(くかたち)・・・裁判の際に熱湯に手を入れさせて、手がただれるかどうかで
真偽を判定させる方法。
祈年の祭(としごい)・・・春に豊作を祈る祭。
新嘗の祭(にいなめ)・・・秋の収穫を感謝する祭。
代表的な書物
「宋書」倭国伝(「そうじょ」わこくでん)・・・倭の五王が中国の南朝に朝貢していることが書かれてる。
代表的な制度
氏姓制度・・・血縁や政治的関係をもとにして作られた氏(うじ)という組織に編成し
て、姓(カバネ)を与えた代わりに職務を分担させた。
大陸から伝わってきたもの
漢字 儒教 仏教
古墳時代のまとめ
・近畿地方を中心に大王の前方後円墳ができ、ヤマト政権が誕生した。
・大王の勢力拡大に抵抗する地方豪族が磐井の乱を起こす。
・反乱が起きないように、各地に直轄領としての屯倉や直轄民の名代・小代
を設け、地方豪族たちはヤマト政権の国造となった。
〈参考文献〉山川詳説日本史